2018年06月19日
おくのほそ道を旅する (ノート19)
2009.5.13~17 友人と奥の細道を旅しました。
俳句好きの友人に誘われ、いつもながら私の思いのままの計画を立てて出発した奥の細道の旅です。サンライズ瀬戸で東京へ、次に東北新幹線で古川へ。古川駅前の、佐藤忠良作「ササニシキ」
在来線に乗り換えてまず鳴子へ。1時間の待ち合わせで昼食、食べた山菜きのこそばの美味しかったこと。「しどけ」はちょっと苦味があるが美味しかった。駅の足湯にも浸かってまったく時間の無駄なしです。ぽつぽつ雨が降り出した。
新庄に着くころには雨も上がりやれやれ、そして車両はそのまま坂田へ向かった。
カメラの電源がが切れずエラー。どうして?とかなり焦って、友人にカメラが壊れたら「バッテリーを出したんたらと言うのでバッテッリーの二を開けただけでOFFになりほっとしたが、そのせいで鳴子の渓谷も、最上川の写真も撮れなかった。酒田からは晴れてきたが、鳥海山は見えない。
金浦駅で1時間半の待ち時間、駅前に2羽のペンギンがたっている。駅の二階が図書館になっているので入ってみた。そこで南極探検の白洲大尉がここの寺の出身だと知った。関係図書がたくさんあった。金浦から象潟までの車窓には、薄日はさしたこともあって九十九島が早苗の田に写ってほんとうにきれいでした。
象潟の宿、薫風荘は蚶満寺の近く。翌朝ゆっくり見学する。寺の裏にも九十九島の風景が・・・
新潟では1時間半で「荒海や・・・」の碑と佐渡島を見て、出雲崎へ。海辺の町は駅からずいぶん歩いて峠を下っていった。だが花々が楽しませてくれた。
親不知で下車し昔の道を見たいと歩き始めたけれど、とても行き着きそうにないので残念でしたが引き返したのです。富山から加賀温泉、バスで山中温泉へ。あいにくの雨、翌日の大垣もやっぱり雨でした。けれどそれも芭蕉の旅には却ってしっとりとして似合っていたかもしれない。
こおろぎ橋
大垣芭蕉像
俳句好きの友人に誘われ、いつもながら私の思いのままの計画を立てて出発した奥の細道の旅です。サンライズ瀬戸で東京へ、次に東北新幹線で古川へ。古川駅前の、佐藤忠良作「ササニシキ」
在来線に乗り換えてまず鳴子へ。1時間の待ち合わせで昼食、食べた山菜きのこそばの美味しかったこと。「しどけ」はちょっと苦味があるが美味しかった。駅の足湯にも浸かってまったく時間の無駄なしです。ぽつぽつ雨が降り出した。
新庄に着くころには雨も上がりやれやれ、そして車両はそのまま坂田へ向かった。
カメラの電源がが切れずエラー。どうして?とかなり焦って、友人にカメラが壊れたら「バッテリーを出したんたらと言うのでバッテッリーの二を開けただけでOFFになりほっとしたが、そのせいで鳴子の渓谷も、最上川の写真も撮れなかった。酒田からは晴れてきたが、鳥海山は見えない。
金浦駅で1時間半の待ち時間、駅前に2羽のペンギンがたっている。駅の二階が図書館になっているので入ってみた。そこで南極探検の白洲大尉がここの寺の出身だと知った。関係図書がたくさんあった。金浦から象潟までの車窓には、薄日はさしたこともあって九十九島が早苗の田に写ってほんとうにきれいでした。
象潟の宿、薫風荘は蚶満寺の近く。翌朝ゆっくり見学する。寺の裏にも九十九島の風景が・・・
新潟では1時間半で「荒海や・・・」の碑と佐渡島を見て、出雲崎へ。海辺の町は駅からずいぶん歩いて峠を下っていった。だが花々が楽しませてくれた。
親不知で下車し昔の道を見たいと歩き始めたけれど、とても行き着きそうにないので残念でしたが引き返したのです。富山から加賀温泉、バスで山中温泉へ。あいにくの雨、翌日の大垣もやっぱり雨でした。けれどそれも芭蕉の旅には却ってしっとりとして似合っていたかもしれない。
こおろぎ橋
大垣芭蕉像
Posted by ヤーブラカ at 23:21│Comments(0)